宗教 の 語の意味



宗教 の 語の意味


仏教用語で「宗の教え」、
つまり言語で表示されない究極の原理や真理を意味する「宗」と、
それを人に伝えるための「教え」を意味する―――とあります。

『岩波仏教辞典』に―――
「宗教」という熟語は、古く中国の仏教論書に使われており、
法蔵(初唐代の僧、華厳宗の第三祖で、華厳教学の大成者)の『華厳五教章』などでは
「宗」と「教」に分けて説明します。

それによれば、「宗」とは教えの中にひそむ究極の理、

つまり要義(奥義)・要旨(宗旨)を意味し、
「教」とはそれを相手に応じて教え説いたものである。

「宗」は言説を超えたものであるが、
「教」はいろいろな形態で存在し得る。
これら二つを合わせて、要するに仏教を意味するものにほかならなかった。

それが 明治維新の前後、欧州諸国との接触の過程で、
近代ヨーロッパ語のreligion(レリジョン)の訳語として採用され、
次第に定着するに至ったのである―――とあります。
・レリジョン(Religion)の言語は、
ラテン語のレジギオ(reliigio)から派生したものだといわれています。

レリギオは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味の

ligareの組み合わせであり「再び結びつける」という意味で、
そこから神と人をむすびつけることと理解されています。

・レリジョンの語が最初に翻訳されたのは

安政5年(1858)の「日米修好通商条約」においてであり、

訳語には「宗旨」「宗法」の語があてられました。
幕末から明治初頭にかけての間にもちいられた訳語は、

「宗教」、「宗門」、「宗旨」、「宗旨教法」、「法教」、「教門」、「神道」、

「聖道」などが確認できますが、
レリジョンの訳語が、
今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされています。

この背景には、明治日本の西欧化の過程で行われた外交折衝や、
当時の特権階級やエリート層、知識人の価値の西欧化などがあるとされています。
そして、宗教はキリスト教をイメージする用語として受容され、
日本人の宗教のイメージに大きな影響を及ぼし、
「宗教」の語の意味について日本人の多くの間に誤解をうみ、
また日本人の中には自分を「無宗教」と規定してなんら
怪しむことがない人もみられるようになりました。