4月の言葉(無功徳)



無 功 徳(むくどく)



この語は、

禅宗開祖の菩提ぼだい達磨だるま大師だいしが、中国・りょう武帝との問答の劈頭へきとうに吐いた一語です。

 

 

深く仏法に帰依していた武帝は、梁の都きんりょう(南京)に 

 

達磨を招請して、

 

私は、即位以来、寺を建て 仏像を造り、経を写し、多くの僧侶を育てている。

 

   そこには、どんな功徳があるか」と問うた。

 


達磨

 

ならびに無功徳(どれもこれも、すべて功徳にはならない)と答えた。

 

 

武帝はさらに

 

私は、これだけ仏法のために尽くしてきたのに、どうして功徳がないのか

 

と問い返すと、


達  磨  図 (愚谷軒 黙雷 画)


達磨

あれもした、これもしたと、功徳を積んだことを自負したり、

 

恩にきせたり、鼻にかけたり、

 

あるいは

 

人から誉められ 尊敬されることを

 

期待しているようでは、本物ではない

 

と答えたという。

 

 


善行為は確かにいいことで 悪いことではない。

 

しかし、

 

功徳求めてする行為は 煩悩のもとだ。

 

 

あれもしてやった、これもしてやったと思うようでは

 

本当に善いことをしたことにはならない。

 

 

むしろ、そうすることによって

 

自我意識高めることにはなりはしないか。

 


功徳につきまとう善行為は、

 

それは善行為であっても 真実ではない

 

 

達磨は、善を為しても 善にとらわれない

 

 決して果報を期待しない境地を 示されたのです。

 


木 蓮(佛國寺 庭)


心ゆたかな人生は、万事が無功徳

 

そう考えて 働いて行くとよい。

 

 

無功徳 の 功徳 だ。

 

この心を一つ一つ積んで行くほど 

 

こころ楽しいことはない。

 

 

無功徳、これ真の功徳と 

 

時々反覆(はんぷく)して 味わっていただきたい一語です。

 


令和2年 4月 1日 

                 

    自然宗佛國寺 開山  こくけん もくらい 合掌


自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年、山居生活、から得たものをお伝えしています。

 

下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日掲載

 

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感謝合掌  住持職:釈 妙円


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