無 功 徳(むくどく)
この語は、
禅宗開祖の菩提達磨大師が、中国・梁の武帝との問答の劈頭に吐いた一語です。
深く仏法に帰依していた武帝は、梁の都金陵(南京)に
達磨を招請して、
「私は、即位以来、寺を建て 仏像を造り、経を写し、多くの僧侶を育てている。
そこには、どんな功徳があるか」と問うた。
達磨は
「ならびに無功徳」(どれもこれも、すべて功徳にはならない)と答えた。
武帝はさらに
「私は、これだけ仏法のために尽くしてきたのに、どうして功徳がないのか」
と問い返すと、
達 磨 図 (愚谷軒 黙雷 画)
達磨は
「あれもした、これもしたと、功徳を積んだことを自負したり、
恩にきせたり、鼻にかけたり、
あるいは
人から誉められ 尊敬されることを
期待しているようでは、本物ではない」
と答えたという。
善行為は確かにいいことで 悪いことではない。
しかし、
功徳を求めてする行為は 煩悩のもとだ。
あれもしてやった、これもしてやったと思うようでは
本当に善いことをしたことにはならない。
むしろ、そうすることによって
自我意識を 高めることにはなりはしないか。
功徳につきまとう善行為は、
それは善行為であっても 真実ではない。
達磨は、善を為しても 善にとらわれない。
決して果報を期待しない境地を 示されたのです。
木 蓮(佛國寺 庭)
心ゆたかな人生は、万事が無功徳。
そう考えて 働いて行くとよい。
無功徳 の 功徳 だ。
この心を一つ一つ積んで行くほど
こころ楽しいことはない。
「無功徳、これ真の功徳」と
時々反覆して 味わっていただきたい一語です。
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年、山居生活、から得たものをお伝えしています。
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感謝合掌 住持職:釈 妙円
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