文部科学大臣認証 自然宗佛國寺



 

 

 

 

 

自然宗佛國寺は


求道心のある方なら

どなたにも

門戸をひらいています。


 

自然宗佛國寺は 

 

仏祖釈尊の原点に帰り、

 

釈尊の原点に立って、

 

釈尊とともに歩みながら 

 

【釈尊 の 人間教育学】を 生活に活かす学び舎です。 

 


佛國寺 の 三つの祈り


・自分の心の平安を祈り、その実現に精進いたします。

・人々の心の平安を祈り、その実現に精進いたします。

・日本の平安と世界の平安を祈り、

            その実現に精進いたします。


なぜ、祈りの寺にするのか?


  日本の現状は、

 

    泰平極まって祖国なき心の難民が国中に氾濫し、

 

    国乱れ、国在って国に非ずの有様である。
 

 

 その彼等を生み育ててくれた国がなくなり

 

     帰るべき安住の地がなく、

 

     亡国の民の悲しみが伝わってくる。

 

 



  一方、目を国内に転ずれば、 

 

    現代の日本の 繁栄は、  

 

    物質のみの繁栄で、 

 

  金万能の経済の中での繁栄であって、

 

    精神(心)と実質の面を全く忘れた泡沫の繁栄である。

 



    経済が 

 

    人間道徳を忘れて独走する架空の繁栄である。

 

 
 
「経世済民」の志を忘れた 

 

    市場原理主義・経済合理主義一辺倒に走った現代日本は、

 

  国家的・社会的諸病弊が 深く根をはり、

 

    近未来さえ予測できないほど、 

 

 不透明な時代、不確実な時代だといえる。

 


 
・ この時代状況の中に在って、 

 

   多くの人々は、 苦悩し、煩悶し 

 

   決して安心した生活が送れているとはいえない。

 


 
・ 現実人間社会―――紅塵万丈・利害得失の渦巻く娑婆世界、 

 

   ドロドロした生の人間社会。



 だからこそ、 

 

   闇を照らす清く純粋な祈りの寺が必要である―――と。


 

   人生の成功も味わい、 

 

   事業の失敗で人生のどん底をのた打ち回り、 

 

   煩悩地獄・妄想苦海で七転八倒し、

 

   これではならじと一大発心をして、 

 

  一笠一杖の乞食雲水となり、 

 

  行脚55年、断食行、下座行(路上坐禅)50年等を行じ、

 

 生の人間社会の生の人間相手に、 

 

 生の人間の根本欲を直視観察し、 

 

 己の五感五体で確信をえたからである。

 


 
 清き祈りの灯火が 

 

苦悩する人々の心を救い、



呻吟する祖国日本を救う光明となる。

 



 

  自然宗佛國寺は、 

 

 いのちの森建立の為、 

 

  水源山間地に広大な面積の山林を取得することになる。

 


 
  ところが、男の僧侶の多くは、
 

 

 往々にして、私利私欲に走り、寺を私物化する。

  また、子供に継がせたいという執着から
 

 

 寺が公器であることを忘れてしまう。

 

 

 なかには、僧侶の本分を忘失忘捨して、 

 

 寺の財産を勝手に売却した実例は 

 

 枚挙にいとまが無い。

 

 



 一方、尼僧になる女性は、

 


     それなりの覚悟を持って 

 

   黒髪を切って頭を丸める。

 


     だから、

 

   純粋な心で仏祖釈尊の教えを師とし、 

 

   大慈大悲の菩薩道を実践する純粋さがある。



・ 私は、一笠一杖の乞食雲水として、

 

     全国行脚七年有半。  (昭和57年~平成元年12月迄)

 

  
・ 草莽崛起・日本縦断4,800Km行脚。(
平成5年4月29日~10月27日迄)


 
・ 鑑真和上 日本上陸地の薩摩坊津から北陸
道経由で東京まで86日
 2,000km行脚。               (平成24年4月29日~7月23日迄)

 


・四国霊場巡礼4回等々を行じながら、

 

 全国各地の道端に、黙然大坐の下座行を行ずる。

 

 

・また、京都仏教会の寺院拝観拒否に対して、 

 

 僧侶の「あるべきようは」とは何かを問う百日間下座行。

          (平成3年12月8日~4年3月25日迄)
 


・いのちの森建立勧進21日間下座行を 


  京都・大阪・神戸・名古屋・東京等々の 繁華街で黙々と行じ、 

 

  紅塵万丈・利害得失の渦まく娑婆世界の人間模様を観察し、


  人の心のおくそこにあるものをつかんだ。



 また、多くの僧侶が「僧侶の本分」を忘失忘捨し、 

 

 「寺の心」を失っている現実、


   寺々の宗派意識の強さの壁にぶつかり、 

 

  仏祖釈尊の原点にかえるべきだと痛感した。
 




 

  行脚中、

 

  寺々に宿を乞えども、 

 

  断られて、橋の下を宿とし、

 

   時には野山に臥すこともあったが、

 


    近江・越前・加賀・越中の尼寺に一夜泊めて いただき、


    尼僧の宗派を超えた「仏の心」にふれると同時に、

 

    尼僧の質素な生活、

 

  心豊かな生き方に

 

  僧侶のあるべき姿を教えられた。


 
  また、行脚や下座行で、 

 

  多くの女性の純粋な心にふれて、

 


    尼僧の仏の心=無私の心・無私の祈りと

 

    女性仏教徒の純粋な心・純粋な祈りが、


    呻吟する祖国日本の一隅を照らす灯明となり、


    苦悩する人々の心を救う光明になると確信し、

    佛國寺を 

 

    尼僧が


   「日本の平安と世界の平安」を祈る寺にかえることにした。

 


  
人をのみ渡し渡して おのが身は

 

岸に上がらぬ   渡し守かな  

 

                              


自然宗佛國寺

 

  開山  佛國寺 黙雷 


世襲禁止の寺


 

 

(法人資格)

  文部科学大臣認証「宗教法人」です。

(目 的)

  釈尊の教えを師とし、仏国土建設を本願として、

  大慈大悲の菩薩道を実践し、
     以って、人々の苦悩を救うことを目的としています。

世襲禁止)

文部科学大臣認証「宗教法人 自然宗佛國寺 規則」
(以下「規則」)

 

第六条で、代表役員住持職及び副住持職の世襲を禁じています。

 

 

(規則第六条 内規要約)

 

     ・  昨今、僧侶の多くは、

   仏教の本義を忘れ檀家制度の上に胡坐をかき、

     はたまた寺族が寺院を代々世襲し、

     私物化するにいたって

    「衆生済度」を本願とする寺の心は失われた。

 

     ・  この僧侶の怠慢、堕落を病根として仏教は形骸化し、
      そこに霊の祟りで脅かし、

          人の心に不安と恐怖を惹起させる不安産業、脅迫産業としての

          宗教産業が世に蔓延することになった。

 

    ・  これらの反省の上に立って、住持職及び副住持職の世襲を禁ずる。

 

 

(学 徒)

 

一.佛國寺は、仏祖釈尊の弟子。

「仏陀になる道」を歩む求道者として、

生涯「学生がくしょう」(仏法の学問修行を行う者)という立場にたつため、

信者、信徒といわず「学徒」ということで文部科学大臣から認められています。

 

 

二.学徒の義務は、「規則」第十九条で、護法興隆に努め、

  (菩薩行)自利利他の法を行じ、

  国家社会に奉仕するものと定められています。

 

 

(公益事業)

文部科学大臣から、

 

 生命森林基金 いのちの森

 

 生命教育基金 いのちの学校

 

の二つの公益事業が認められています。