八風吹けども動ぜず
八風とは
八風とは、
私たちの心を 揺り動かして、
惑わす 八つの幸不幸の状態で、
利衰、毀誉、称譏、苦楽のことです。
この八風は、
常に 私たちの心に 吹きつけて、
迷いや 動揺を 誘うものとなっています。
利 衰
毀 誉
毀誉の「毀」は 陰で謗ることで、
「誉」は 陰で誉めることです。
称 譏
称譏の「称」は 面前で褒めること、
「譏」は 面前で貶すことです。
そしられたり、ほめられたりすることを繰り返しながら、
時には 悦び、
時には 怒って 生きているのが、
私たちの生活で、
いわば世の中の 毀誉褒貶のことをいっています。
苦 楽
苦楽の「苦」は身心を悩ます苦しみで、
逆境にあたり、
「楽」は身心を悦ばすことで、
順境がこれにあたります。
世間一般の在り方
世間一般の在り方、
その本質的傾向をみると、
利害得失(利益になるか、それとも損失になるか)、
毀誉褒貶(他から誹謗されるか、称賛されるか)、
苦と楽、
幸と不幸
―――この価値基準に照らして
自分の行動を律するところがあるように思えます。
そして、そういう世の中で お互いに生きていくわけです。
生きていく
「生きている」ということと
「生きていく」ということ とは 違います。
「生きている」は、
惰性に流されて、
ただ生きている ことをいいます。
「生きていく」というと、
自分で意識し、
充実感を確かめながら
生き抜いていく積極的な人生
のことをいいます。
紅塵万丈・利害得失の渦まく娑婆世界で
私たちの心を 安定させるためには、
どうしてもそういう利害得失、毀誉褒貶に とらわれる心を
いっぺん 捨てて 捨てて 捨て切ることです。
すると、心の奥底にある尊厳な「仏性」(真実の自己)が目覚め、
くだらん娑婆のかざりも、見栄も、さらりと消え去って、
心が かるくなり、身は 安らかになります。
そして、この捨て切ったところで、
改めて
利害得失、毀誉褒貶の渦まく世の中を
自由自在に生き抜くことが
八風吹けども動じない ということです。
そういう心 を 不動心といいます。
不動心
不動心 とは、
石や木のように、固定して動かないことを言うのでなく、
いかなるところにも、
いかなる物にも とらわれず、
自由自在に動く心をいいます。
心を どこにも止めぬを 不動という (沢庵禅師)
私たちは、
常に 外境に心を奪われ、
心を止めて、こだわっています。
それを脱殼して、
一切のものを心を止めない
自由自在の境地に 心を置く訓練が 禅生活 です。
心が 止まっていたら
錆ついてしまいます。
動きが鈍くなってしまいます。
ですから、
日々、訓練、訓練。
その 一日 一日 の 積み重ね が 人生であります。
自然宗佛國寺:開山 黙雷和尚が、
行脚(徒歩)55年・下座行(路上坐禅)50年 、山居生活、で得たものをお伝えしています。
下記FB:自然宗佛國寺から、毎月1日に掲載。
皆様の「いいね!」や「シェア」が、著者の大なる励みとなっております。
感謝合掌 住持職:釈 妙円